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人生問題の解決
〜不安と悩みの解消・真の創造力の獲得〜

人生とは何なのか?
人間(自分)はどうして悩むのか?
何のために生きているのか?
いったい、自分は何なのか?
自分はどこから来て、どこへ行くのか?
そして、人生いかに生きるべきか?


  (1)心の問題としての二つの観点
心の問題としては二つの観点が有ると思います。

【1.感性としての不安】
自分自身の中に自分の知らないもう一人の自分がいるという事による不安。

例えば、高いところに上がった時、怖いと思わせるものが自分の中に存在して。その事によって、自分の意識が制御不能になる可能性が有る事。

鋭い刃物を見た時、尻の所を刺激する様な感じにさせるものが存在する。

意識は話をしている、前の人にあるのだが、後ろのほうの気配を感じ取る事が可能である。
後ろを見ているのは、誰だ?

車の運転中などに、一切自分の意識を向けていなくても、勝手にハンドルを、ブレーキを操作してくれているものが存在する。まだまだ数えられない程あるのだが、自分の知らない間に自分のやる事をやってくれている者が存在する。

自分の感情がどこから湧いてくるのか?、湧かせているのは、誰だ?

自分が意識していない部分をカバーしているのは、誰だ?


【2.魂としての悩み】
自分の中に二つの対立する意識が有ることが悩みの種だと言う事。

悩みは対立する意識と対立する意識の矛盾であって、解決は外に求めない、あくまでも自分自身の心の中でしか解決方法がないという事。

対立する二人「二つの意識」はどちらが本当の自分か?

ヒント世間の是非善悪にはかかわるな。

  (2)解決の糸口
見性「自分の正体を知る」、悟りを開くという事はこのもう一人の自分に出会うという事なのです。
キリスト教徒なら「神と和解する」「神に会った」どちらでも同じ事ですが。仏教徒なら、仏性と出会うということになります。これが出来れば、人生問題の解決ということになります。感性としての不安が今度は限りない自分の能力となって、限りない可能性を、恵みを、もたらしてくれます。
魂としての悩みは今度は絶対の安心に変わります、対立する「矛盾」が解消されるるからです。

その事によって、今までは、何を考えてもその先、その先、その先、その先、もっとその先と考えていく時どこかに限界があると思いますが、その限界がなくなります。「真の創造力」の獲得も付随してくれます。

その無意識の意識は全ての矛盾を呑み込んでくれます、完璧なもの、絶対のものを持っています。
あなたの中にはそういうものが、既に在るのです。ただ、今はその存在を信じられなくて、逆にそれに悩まされたり、脅かされているのです。それはそういう風にしてしか、その人にアピール出来ないからです。
あなたを守ってくれているもの、それがあなたを今は大いに悩ませているのです。

逆の立場(無意識の意識の立場)(あなたの知らないあなたの意識)(仏性)から言えば、あなたを守りたい、自分の存在をわからせてあげたい、あなたはできないといっているけれど、自分ならできるのに、自分に任せてもらいたいという精一杯のアピールをしているのです。そのアピールが悩み、苦しみなのです。

だから悩みは悩む必要が有るのです。

悩みの果てにその人の「我」が薄くなり、弱くなり、「我」が死んでしまうのを待っているのです。その時が悟りを開く時なのです。「大死一番」と言う言葉はこの時の「我」が死ぬという意味なのです。

だからあなたに、命を賭ける覚悟があるか?と言ったのは、そういう意味なのです。命を賭けるというのは、それほど辛い試練がまちうけているということなのです。悩みから逃げてはいけないのです。

  (3)私の話
私の話をします。
対立していたのは、死にたくないという(私の意識=有限性)と憧れとして抱いている(永遠の命=無限性)その対立だったのです、頭の中では絶対に折り合いが付くはずがないのです、どう考えても相容れない事です。
だから当然のこと悩みます、14歳から28歳までの14年間14x365=5,110回死刑台に立った想いで暮らしていましたが、長男が生まれて6ヵ月位になった時、離任神経症が、ひどくなって生活できなくなりました。

その時、たまたま本屋さんで鈴木知準先生の本に出会って森田療法を知り入院する事になりました。
2ケ月間お世話になり、一応生活出来るレベルになりまして、又淡々と生活をしていました。
その4年後、先生の言われたように生活をしていたところ、ある日玄関の靴を揃えていたときのことです、
自分の心の中の無意識の意識に出会うことがありました。その日、いつもは日記は書かないのですが、この日は書きました。
「無意識の意識に会った、無意識にも意識があった」と書きました。この日で自分が今まで抱えていた問題が、全て解けたのです。

無意識の意識は、死にたくないと思っていた自分を永遠の命で包みこんでくれました。その事によって、今まであれほど「死」を忌み嫌っていたものが、絶対肯定という立場になってしまったのです。キリスト教徒なら「神の思し召しのままに」ということかと思います。憧れとして抱いていた永遠の命を違うかたちにせよ、自分がもうすでに持っていたのです。矛盾する相容れないもの、その両方を既に持っていたのです。そしてその対立する意識と対立する意識が出会ったのです。その事によって、対立していた矛盾が作り出していた恐怖と言っていい程の不安、悩み、苦しみが解消されました。全て解消されたのです。

その事によって、それらが、作りだした、離任神経症というものからも解放されました。

そのことによって知った事があります。

悩みは必要な事なのだという事。悩みがあると言う事は今の自分がやろうとしている事に対して出来ないと思っていても、もう一人の意識は可能という事を意味していると言う事。最初から出来ないということであれば、そこに悩みは生まれないということ。
自分がたまたま離任神経症から解放されたのは、離任神経症を相手にしなかったからだと思います、死の問題だけを相手にしていたからだと思います。

もし離任神経症だけを治そうとしていたら、今も直すことは不可能だったと思います。離任神経症という言葉もほとんど使わなかったし、その症状もほとんど妻にも言わなかったので、妻としても私が悩んでいる事は知っていたのですが、何の神経症か、知らなかったと思います。今になって思えば、18年x365日=6,570回死刑台に上れば、誰だって離任神経症になるかも知れないという事。

そこで神経症が直しにくいという事であったなら、もう直すのを諦めて、視点を変えて、神経症を起こしている犯人探しをしてはどうか?

なにが神経症を起こしているのか?

神経症のカゲに隠れている本当の原因はなにか?

そのように考えて見ることをお勧めします。

  (4)結論
結論を言います。
人生門題を解決しないとその事によって引き起こされている色々の問題「神経症も含む」は解決しないと思います。

それが出来た時本当の人生が始まります、自分が生まれてきた事の意義、自分がこの人生で何をやっていくのか?

ところが、それが出来たところで、それだけでは本当は何にもなりません、大事な事はそれからの生き方なのです。自分には何が出来るのか、を見極めて、今手を付ける事に全身全霊を傾けて下さい。それから本当の修行が始まる,そして、10年,20年,30年,とたゆみ無い努力、修行を積んで行く事、悟ったとしたら、大事なのはその後の生き方なのです。そのくらいなものです。

その時は「明日のことを思い煩うな、今日のことは今日で事足りる。」ということの本当の意味が分かると思います。もう一つの意識は宗教そのものだからです。

自分は無宗教なのですが、もう一つの意識にはキリストも釈迦も、神も仏も入っています。多分その事によって、絶対の安心が今も続いているのかも知れません。もう一つの意識に入っていると言いましたが、これは、間違いです。もう一つの意識とは神、仏そのものなのです。

大事な事は、全身全霊で生きていくということなのです。なかなかそれが出来なくて、死ぬまで修行が続くと言う事かと思われます。

そして、人生いかに生きるべきか?その答えは自ずから導かれると思います。その答えは、皆違ったものになると思います。

人それぞれ遺伝子も違えば、育った環境も違えば、生きている時代も違えば、他の人と全てが違うからです。

世界中でたった一つの花、あなただけの花を咲かせるために、あなたは生まれてきたのです。

ただ一つ、いつの世でも共通するものが有るとすれば、

1…自分の人生は、自分だけのものではないということ。

2…自分の幸せというものが、自分だけの幸せを求めていく事だけではないということ。

3…本当は自分の幸せは無いかも知れないという事。

4…本当の幸せは、自分の回りにいる人たちの、幸せを、自分の幸せとして、感じて生きてゆく事。

そうすれば、自分の幸せが、永遠に続くのではないかという事。
悩み多かった若い日々を過ぎて、欲深い自分の業が導き出した結論は多分こんなものかも知れません。


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